2011年4月19日火曜日

イセッタ

小さくてかわいいでしょう? イセッタ・・・




イタリア、ミラノ近郊で戦前、冷蔵庫、ラジエーター、ウォーターヒーターを生産していたイソ社(ISO SpA)は第二次世界大戦後まもなくスクーター、400ccまでのバイク、小さな3輪バンやトラックの開発を始めました。そして革新的なエンジニア・Mr.Pretiはスクーターエンジンを形を整えた冷蔵庫につなげ、窓や座席などを取り付けた2人乗用の小さな車を提案しました。このコンセプトを元にイソ社は1953年Turinモーターショーに「Isetta」(小さなイソ)を発表しました。その後、またたく間にこの小さな車は市民のタウンカーとしてヨーロッパ内でブーム的な人気を誇るようになりました。
イソ社は1958年まで生産を続けたがイタリア国内においてはあまり著しい成功はしませんでした。そしてライセンス契約をドイツBMW・フランスVELAM・スペイン・ベルギー、ブラジルなどと結び、各社独自に改良を重ね、最終的にはドイツBMW社がイセッタ生産のメインとなりました。BMWは1955年4月、「イセッタ250」を発売。後ろに2本のタイヤが並んだ4輪タイプとイギリス用3輪タイプ(ブライトンイセッタ)はその年の終わりまでには約1万台以上を販売し経営難であったBMWはイセッタの大ヒットにより立て直されました。BMWのイセッタ生産の成功は元々の2ストロークエンジン・236ccから彼らのモーターバイク・R25、4ストローク・シングルシリンダーエンジンへの変更により加速力や耐久性が増した事、各部品の品質基準が他社よりも圧倒的に高かった事。実際、現存するイセッタはBMW版が多い理由には単に生産台数が他社よりも多かったというよりは高品質によるものと言われてます。イセッタはミュンヘンのBMW工場にて1955-1962年までの8間に約16万1721台が生産されその内約2万9000台あまりがイギリスで生産されました。アメリカへも約8500台が輸出されそのほとんどは300ccエンジンで主に250ccはヨーロッパ内で販売されていました。初期型の1955年~57年モデルはバブルウィンドウボディスタイルと言われ前方の小さな窓が少しだけ開閉するタイプで、57年以降モデルからはスライディングウィンドウタイプとなっており窓が以前よりも大きく横にスライディングする事により換気性は向上し、オリジナルのイソ社製のデザイン性重視より実重視のドイツスタイルに変更になったのでした。
イセッタは皆に愛されるパーフェクトデザインな小型バブルカー、1ドア、1シリンダーエンジン、1スパークプラグ、1又2本のワイパー、スライディングウィンドウ、サンルーフ、ヒーター、20-30/Lでとてもシンプルな構造で走る究極な2人乗りエコカーだったのです。

マイネーム・イズ・ハーン

アメリカ在住のイスラム教徒、ハーンはアスペルガー症候群を患っていたが、ある日ヒンドゥー教徒のマンディラと出会い恋に落ちる。結婚して幸せに暮らす二人だったが、9.11事件を機に全てが一変する。マンディラの連れ子サミールは、母親の再婚でイスラム教徒の名前に変わったことからイジメを受け、命を落としてしまう……。絶望した彼女は結婚したことを悔やみハーンを責めた。愛を失い、困惑したハーンは“ある決意”からアメリカ横断の旅に出る──。



映画の中で「私の名前はカーンです。テロリストではありません」
と主張し、大統領にもそのメッセージを伝えようとする。この暗号のようなメッセージは、イスラーム教徒=テロリストという先入観を打破する呪文にもなり、この出来事が南アジア人コミュニティーの心を刺激し、個人のアイデンティティーを隠して生きる必要はない、宗教で人を差別することは無意味であると考え直す人々を生んだ。映画の中では、迫害を恐れてヒジャーブを脱いでいた女性等は再びヒジャーブをかぶり始め、今までイスラーム教徒を無条件で敬遠していた人は進んでリズワーンを助け始める。この世には善と悪しかない。宗教、人の外見だけでは区別出来ない。この事を皆さんに1番伝えたいのだと思います。

今年の桜

 勤務先のそばの桜がとても綺麗でした!このような世の中ですが、やはり綺麗ですね!